通貨は語る 2010 10 23
最近、通貨をめぐる話題が多いと思います。
そこで、今日は、通貨(為替相場)の歴史を見てみたいと思います。
1990年4月に、1ドル160.35円だった為替相場は、
1995年4月には、79.75円となりました。
日本のバブル経済の崩壊は、1990年1月から始まりました。
そして、これが「失われた20年」の始まりになるとは、
誰も予想できなかったでしょう。
これで、欧米人は、ホッとしたでしょう。
日本のバブル経済時代、日本脅威論や日本異質論が噴出していたからです。
当時、よく言われたことは、
東京の地価が高騰し、東京23区の地価でアメリカ全土が買えるとまで言われたのです。
これでは、日本を「脅威だ」と感じても不思議はなかったでしょう。
経済的に見れば、「失われた20年」は、日本の弱体化を意味しましたが、
政治的に見れば、どうだったのか。
「失われた20年」を政治的に見れば、
アジアの民主主義国家である日本の国力低下、
一方で、全体主義国家である中国の台頭という結果を招いたと思います。
現時点では、まだ、はっきりしていませんが、
10年も経てば、これは、明白なものになるでしょう。
つまり、アジアにおいて、民主主義が敗北し、全体主義が勝利するという結果が出るのです。
おそらく、アジアだけではなく、世界的に、そうなるでしょう。
日本の没落の始まりは、民主主義の敗北の始まりだった。
後世の歴史家は、そう考えるでしょう。
経済学者の岩田規久男氏によれば、
スウェーデンは、日本と同じ時期にバブル経済が発生し、
さらに、同じ時期に、バブル経済の崩壊が始まったのです。
しかし、その後、スウェーデン経済は急回復したのです。
どうして、日本経済とスウェーデン経済は、明暗を分けてしまったのか。
スウェーデンは、日本と違って、いち早く銀行部門に巨額の資本を注入し、
銀行危機を短期間で乗り切ることに成功したのです。
さらに、岩田氏は、「景気の急回復の原動力は、
輸出の増加と、それに誘発された民間企業投資の急増であった。
輸出が拡大したのは、世界的な好景気とスウェーデン通貨の大幅な下落であった」と指摘しています。
スウェーデンと日本 2007 11 11
今日もまた、岩田規久男氏の本をテキストにして、
バブル崩壊後の経済について、考えてみましょう(p160、161、162、163、164)。
(参考 「小さな政府」を問いなおす 岩田 規久男 ちくま新書)
岩田氏の分析によると、実は、日本と同じ時期に(1980年代の後半)、
スウェーデンも、株価と不動産価格のバブルが発生していたのです。
そして、同じく1990年にバブル崩壊が始まったのです。
その結果、スウェーデン経済は、1991年から3年間マイナス成長となったのです。
ここまでは、日本と同じような経緯だったと言えるでしょう。
しかし、1994年と1995年には、4%成長が続き、スウェーデン経済は急回復したのです。
一方、日本経済は、「失われた10年」と言われるように長期間不景気が続きました。
どうして、その後、日本経済とスウェーデン経済は明暗を分けてしまったのか。
それは、岩田規久男氏の本によれば、
「スウェーデンは、日本とは違って、いち早く銀行部門に巨額な資本を注入し、
銀行危機を短期間で乗り切ることに成功した」とあります。
さらに、岩田氏は、スウェーデン経済の急回復の原因をもうひとつ指摘しています。
「景気の急回復の原動力は、輸出の増加と、それに誘発された民間企業投資の急増であった。
輸出が拡大したのは、世界的な好景気とスウェーデン通貨の大幅な下落であった」